北鎌倉には多くの寺があり、国宝、重要文化財の建物もあります。 境内は花や紅葉の名所としても知られ、建物と自然、一緒に楽しむことができます。
白鷺池の伝説
鎌倉幕府の9代執権、北条貞時(1284~1301)は国家安泰を祈願して、大きな鐘を造るよう命じました。ところが、あまりに大きく失敗が続きました。そこで、貞時は江ノ島弁財天に祈ると、夢の中で「白鷺地の底を掘ってみよ」とお告げを受けました。お告げのとおり掘ると、龍の頭の形をした金銅を発見。この銅を使い、ついに鐘を完成させることができました。これが、円覚寺の国宝 洪鐘(おおがね)です。
鎌倉文士も愛した和菓子屋<br>
北鎌倉駅改札口前の和菓子屋「こまき」は小説家・川端康成(1899~1972)も愛した名店。白鷺池を眺めながら踏切の音をBGMにお茶をいただけます。
心の迷いを取り払う
山門(三門)とは、禅宗寺院の正面の門のことで、空(くう)・無相(むそう)・無作(むさ)の三解脱(さんげだつ)を表わしています。三解脱は「万物が変化していくことを悟ること」「一切の形にとらわれないこと」「無我の境地に至ること」をいい、禅修行の目標とされています。 正面には1308年に賜ったという伏見上皇(1265~1317)による宸筆(しんぴつ)の扁額「円覚興聖禅寺」が掲げられ、また楼上(非公開)に十一面観音像、十二神将、十六羅漢が安置されています。 二階の軒の棰(たるき)(屋根の裏板などを支える木材)の並びが、禅宗様式の特色である扇を開いたような形(扇棰(おおぎたるき))であることも見どころの一つです。
踊ってみませんか?
毎年8月、多くの方が参加して賑わう円覚寺盆踊り大会は、この三門を囲むように踊ります。一度、輪の中に入ってみてはいかがでしょう。
修行僧のための坐禅道場
選仏場とは、仏を選び出すという意味で、坐禅場のことを指します。以前の坐禅道場は1563年に焼失し、1699年に伊勢長島(現在の三重県桑名市)の城主である松平忠充(ただみつ)(1651~1730)が、仏教経典の総集「大蔵経(だいぞうきょう)」を円覚寺に納めた際、経典を収める蔵と道場を兼ねるこの建物が建てられました。中央には、南北朝時代の薬師如来像がまつられています。
座禅を体験!<br>
選仏場に隣接する隣接する「居士林」では、一般の初心者でも参加できる坐禅会が定期的に開かれています。一度参加してみてはいかがでしょう。
江戸時代に再建された三間二階二重門の関東最大級の門。楼上に三解脱を説いた釈迦如来と、それを体得した弟子の五百羅漢(非公開)を安置し、その下を通ると心が清らかになるように祈念されています。屋根は入母屋造の銅板葺、正面中央に後深草院の筆と伝えられる額「建長興国禅寺」が掲げられています。
建長寺三門の伝説<br>
むかしむかし、建長寺で育てられた1匹のタヌキがいました。ある日、タヌキは住職たちが三門をまた建てようとしているのを知ります。これまでの恩返しようと、タヌキは僧侶の姿に身を代え、住職を助け大活躍したそうです。このことから建長寺の三門は、別名「狸の三門」といわれています。
(※諸説あり)
創建から、四代目の現在の仏殿は、かつて東京の増上寺にあった徳川二代目将軍秀忠(1579~1632)の正室・江(崇源院(すうげんいん))(1573~1626)の霊屋(たまや)(死者の霊魂を祀る堂)を譲り受け、1647年に移築したものです。外観は、禅宗仏殿らしい雰囲気を漂わせ、内観の折上げ格(ごう)天井(てんじょう)で全体に彩色が施され、欄間にも鳳凰の精緻な彫刻があり、装飾性豊かな造りです。
よみがえった鮮やかさ
唐門とは、弓形にふくらみ、左右の端が反った屋根が特徴の門で、桃山時代建築の特色の一つです。 仏殿と同じく、増上寺から移築されたもので、もとは江(ごう)(崇源院(すいげんいん))(1573~1626)の霊屋(たまや)(現・仏殿)前の中門でした。少し離れて、門全体の煌びやかな雰囲気を楽しむのもよし、近づいて、牡丹などをモチーフにした豪奢な装飾を楽しむのもよし。2011年の修復により、建築当時の色鮮やかな姿がよみがえりました。
建長汁(けんちんじる)とは!?
ごま油で炒めた大根やニンジンなどの野菜と豆腐を、汁で煮込んだ精進料理で、一説には建長寺の僧が作り全国に広まったと言われています。